情報の信憑性について考える。
情報は河の流れに似ている。
河が下流に近づくにつれ濁っていくように、
情報も世のなかに伝わる過程で混濁していく。上流で情報が生み出されたとしても、
世のなかに伝わるにつれどんどん加工されていく。都合のよい情報だけが強調され、
不都合な部分は切り捨てられる。ーうつ病の常識はほんとうか 冨高辰一郎著よりー
当社は補助金の支援でそれなりに名が通っている(と自分では思っている)ので、
補助金に関するいろいろな情報が集まってくる。
情報源はさまざまだ。
関係者のちょっとしたひと言だったり、
同業者の経験からくる情報や、
クライアントが「どこかから聞いた話」というのもある。
信憑性はまちまちなので、情報の出所に気をつけることは忘れないようにしている。
また、複数の情報を付き合わせて検証することも行っている。
誰かが「あいまいな噂なんですけど」とした話したものが、別の人には「これは絶対確実な話なんだが」と変質することだってある。
情報源の確かさは、時間とともに変質していく。(スリーパー効果と言い、以前ブログに書いた)
また、情報の「鮮度」も確認する必要がある。補助金で言えば、昨年の制度の情報をさも今年のもののように話しているコンサルを知っている。
鮮度を気にしておらず、制度が変わったのに気づいていないのか、意図的に嘘を付いているのかは知らないけれど。
自分はいま川のどのあたりに居るのか
情報が川の流れなのだとすれば、自分はいまその川のどこから取水、つまり情報を得ようとしているのか?
澄んだ上流なのか、
近くに人の集落がある中流なのか、
それとも海の近い下流なのか。
上流でないのだとすれば、
そこから得た情報は十分に吟味する必要があるだろう。
上流だからといって安心してはいけない。
場所によっては水が淀んだところもあるのだから。