名誉を愛するものは自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、
享楽を愛するものは自分の感情の中にあると思うが、
もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。「自省録」マルクス・アウレリウス 第6章51
自分の幸福を他人の行為の中に求めてはいけない。
他人の行為は予測できないし、理由なく変わることがある。
誰かの行動に振り回される人生は幸福ではないだろう。
同様に、自分の感情も予測できない。自分のことは自分が一番よくわかっているのだろうが、
それでも完全には理解できていない。他者よりも少しマシにわかっている、というだけだ。
自分でも説明できない感情の結果、どう考えても不利な選択をしてしまうことはある。
なので、自分の感情のままに振る舞う人生もやはり幸福ではない。
では、自分の行動はどうだろうか。少なくとも前者二つよりはコントロールできる。
客観的に評価できる。「やりたいんだけど・・(やれない)」という言い訳はよく聞くが、
それでも行動をしなかった、という計測はできる。
それをやりたかったかやりたくなかったか(感情)は他者からはわからない。下手をすれば自分ですらよくわからない。
だけれど、やったかやってないか(行動)は評価できる。自分からも、他者からも、正確に。
いささか単純化すると、他者からの評価や自分の感情は置いておいて、とりあえず自分が正しいと考える行動をとってみることが幸福の近道なのだと解釈している。
昔、そう思って駅のホームでタバコを吸っている知らない人に「喫煙所はあちらですよ」と伝えたら、タバコの煙を顔に吹きかけられて「うるせえ」と怒鳴られてしまった。