真実は、われわれは人生についてはほとんど何も知らないし、
何がいい知らせで何が悪い知らせなのかも全く分かっていないということなのだ。
私は、死んだら ー死にたくはないがー
天国に行ってそこの責任者にこう尋ねてみたい。
「何がいい知らせで、何が悪い知らせでした?」カート・ヴォネガット「国のない男」より
出来事は単なる出来事であって、そこに善悪はない。
その人の事情に応じた、勝手な解釈があるだけだ。
今思えば、あれはいい知らせだったな、と感じることはある。でもそれはたいていの場合錯覚だろう。
カート・ヴォネガットが言うように、我々は人生について何も知らない、きっと一生知ることもない。
いい知らせなのか、悪い知らせなのかも、後付けで解釈するしかない。
無神論者の私はきっと天国にはいけない。「天国の責任者(それが神なのかどうかはわからないが)」に尋ねる機会もないだろう。
目の前の出来事にとにかく対応するしかない。
それが良いことだったのか、悪いことだったのかは、
その対応次第で決まるのだから。