無謬を保つには

自分は間違えない、絶対に正しい。
神ではない人間に、そんなことはありえないだろうと思うのだが、
時折このような主張をする人間に出会い唖然とすることがある。

バージョン違いで「自分が経験したことを絶対に忘れない(だから、間違っていない。つまりお前が間違っている)」という人も見た。
人間の記憶の仕組みを少しでも学べば、不可能なこと(絶対に忘れない)を主張していることは明確なのだが・・・・

さて、そんな彼らは間違えることもある。当然だろう。
彼ら「自分は無謬」だと信じている人は、間違えた時にどうやって自分の信念との整合性をつけるのだろう?

簡単だ、人のせいにするのだ。
配偶者が悪い、子供が悪い、同僚が悪い、部下が悪い、上司が、経営陣が、顧客が、業界が、政治家が、官僚が、あいつらが俺を間違わせたのだ、と。

彼は(主観的には)間違うことはない。そして、彼の周りには「間違える奴」がなぜかたくさんいることになる。

関連記事

  1. 疑問を解決する、壊す

    なぜうまくいっていないか

  2. 今がずっと続くだろう?(プロジェクションバイアス)

  3. 「偽陽性」に注意。良い状態なのにそうでないと判断される危険

  4. 思考法その1〜自分に甘く、他人に厳しく(基本的帰属錯誤)

  5. 問題への対処法(3)問題の分類と解決手法(2)

  6. つまらないのは誰だ

最近の記事

  1. 2024.05.14

    写真修行
  2. レール、分かれ道
  3. 2024.05.07

    穏やかなるGW
  4. 2024.04.26

    世間の評価

読書記録(ブクログ)