旦那のように

旦那といっても夫のことではない。

檀那 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E9%82%A3

サンスクリット語の「ダーナ」が語源で、元々は「お布施をする人」という意味だったそうだ。
ウィキペディアで知ったが、英語の「ドネーション」「ドナー」も同じ語源とか。

日本では上役や夫を表す言葉として定着している。

岩渕潤子編著「「旦那」と遊びと日本文化」によれば、旦那の古典的な意味?としては
「個人の意志で仕事の内容や質を決められるポジションにいられること、そして、
人に指図されずに毎日を生きられるということ」
になるそうだ。

会社経営をしているので、ある程度は仕事の内容や質を決められる。
もちろん顧客が満足し報酬を払ってくれるという最低限のハードルは満たす必要があるが、

人に指図はされない。社長になって一番のメリットはこれかもしれない。
とはいえ、指図されないからこその問題もある。
暴走してしまったり、傲慢になったりして、気がついたら大事なものを失ってしまっていたり。
これは意識してそうならないように努力しなければいけない。
倫理的でいようと、自分で自分を縛っている面も多々あるが、人に指図されたわけではなく、自分の意思でやっている。
放埒な人生も憧れるけれど、性格なのできっと一生無理だろう。

上記の定義に個人的にプラスして「人に指図されず、また、人に指図もせずに毎日を生きられる」としたい。
指図をするのだって疲れるのだ。

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