私の座右の書は、ストア哲学者かつローマ皇帝であったマルクス・アウレリウスの「自省録」だが、その中に
「肉料理を見たら、それは動物の死骸であると考えよ」
という一節がある。
物事にこだわらず、分析して本質に迫れば、それが大したことでないことがわかるという意味だと解釈している。
ドナルド・ロバートソン著「認知行動療法の哲学」では、自省録を引用しつつ、他の学者の言葉として以下を紹介していた。
この(ストア派の)方法の根底にある原理を、分析による価値低減と表現してもいいかもしれない。
我々にとって大きな関心ごとであった対象をその構成要素にまで分解すると、それが瑣末な問題であったことに気づくだろう。
(おもちゃをバラバラに壊してしまった子どもが幻滅して「こんなものだったの?」と言うのと同じように)
– Boudouin & Lestchinsky, 1924, p.48
自省録には続けてこうある。
そして当の事物があまりにも信頼すべきものと思われたらそれを裸にし、
その低劣さを看取し、それによってそれらが己を大層なものとしている由来を剥奪しなければならぬ。
– 自省録 6.13
権威者の言うことを鵜呑みにするのではなく、周りもそうしてるからと唯々諾々と従うのではなく、
その物事を小さく分けて「裸」にし、その妥当性を検証してみる。相互に矛盾はないか、時系列は合っているか、因果関係は、相関関係は・・・・
すると、巷で言われているほど重大な事態ではないし、「低劣な」何かの意思が影響していることがわかるかも知れない。