「見える化」しなくていいこともある

見える化は常に「正義」な訳ではないなあ。と、最近よく思う。

見えないからなあなあで済んだり、軋轢を生まずに社会や組織が円滑に進む、ということはある。

例えば給料。全員の給与を公開している企業もあるとは聞くが、皆本当に納得しているのだろうか?
隣に座っているあいつが俺よりも給料が高いことに、納得できる理由を見出せるのだろうか?
そんなにきちんと数値化して評価できるとは思えない。どこかに割り切れないものが出てくる。

比較的成果が見える化しやすいと思われる営業職だって、その成績が純粋に能力によるものか、たまたま担当エリアが良かっただけなのか、偶然の出来事なのか、正確に判別できるか?

見える化と言いながら、中途半端に見ているだけではないか。
ならむしろ、見えないままにしておいた方がいいのでは?

「測れないものは管理できない(改善できない)」という名言?がある。
これは「だから管理するためにあらゆるものを計測しよう、見える化しよう」という意味だけではなく、
管理できない、管理しなくていいものは無理に測る必要はない、というふうに解釈することもできるのかなと思っている。
管理の「弊害」ってやつは確かに存在するし、デメリットがメリットを上回ることも、ままある。

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