与えられた役を立派に演じる

君は演劇の俳優である。
乞食を演じさせられるなら、
それを似つかわしく演じるようにしたまえ。
演ずる役が足が悪い者でも
役人でも私人でも同じことだ。
君の仕事は与えられた役を立派に演じることであって、
それを選ぶことは他人の仕事だから。
 
エピクテトス「提要」17

エピクテトスだけでなく、マルクス・アウレリウスなどストア派の哲学者たち、
少し時代を下ればシェイクスピアも、人生を演劇に喩えることを好む。

現代では職業選択の自由がある。他人に仕事を強制されることは(少なくとも名目上は)ない。
仕事は自分で選べる。
しかし、実際は違う。仕事は選べるかもしれないが、それで食べていけるかどうかは別だ。
そこにニーズがなければ仕事は発生しないわけで、結局は他人が選んだ(好んだ)仕事をやらざるを得ない。
「好きなことで食べていく」ということができる人はそれほど居ない。

私は経営コンサルタント(中小企業診断士)という職業で独立することを自分の意志で選んだ。
でも、日々やっている仕事内容は、自分で選んだものではない。
クライアントという、いわば演劇の「監督」、いや「鑑賞者」かもしれない、彼らの要望に応じて業務内容を常に変化させてきて、それで今がある。

自分がいくらしたいことでも、そこにお金を払ってくれる他者がいなければ、それは趣味でしかない。
私は自分の好きなことをやっているわけではなく、他者の求めに応じて、自分の配役をできるだけ上手く演じようとしているに過ぎない。

エピクテトスは古代ギリシアの哲学者だけれど、資本主義、民主制の現代でも人間の活動はあまり変わらないようだ。

立派に演じることができているか?
それは、監督や鑑賞者が判断してくれているのだろう。
下手だと思われれば、役を割り振られなくなるし、観客が減る。

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