この地上における二人の暴君、それは偶然と時間だ。
– ヨハン・ゴッドフリート・ヘルダー
最近、「偶然」についてよく考える。
世のなかに必然はない。歴史的な事件だって、偶然から引き起こされている。
(第一次世界大戦の発端は何だった?)
コロナ禍も、いくつもの偶然が悪い具合に作用して引き起こされたものだろう。
そして「時間」が経てば、取り返しが付かなくなることも出てくる。
個人の力ではどうしようもないこともある。
人は後付けで自分の成功を「才能」や「努力」のせいにしたがる。
でも、同じ程度の才能を持ち、努力をした人間でも、成功していない人がたくさん居ることには気づかない。
努力や才能が無駄とは言わない。ただ、そこに「偶然」や「時間(タイミングと言い換えてもよい)」が味方した人が、「たまたま」成功するのであって、きっとその成功は必然ではなかった。
偶然に成功したのなら、偶然に転落することもあり得る。それが怖いから人は「才能」や「努力」という安定した内的要素に理由を求めるのだろう。
冒頭の引用にあるように、偶然と時間は暴君であり、逆らえない。
ただ、うまく波に乗るだけだ。もちろん、あまりにも荒れた海であれば、岸辺で休むべきだが。