態度を決めなくたっていい

世の中のあらゆることに対して、態度を明確にする必要はない。

専門家にだってわからないことがたくさんあるし、そもそも回答がないことだってある。
そんな中敢えて「自分はこう思う」と態度を明確にする必要はないと思う。
「その件に関しては特に意見はない、まだ結論は出せてない」と態度を保留にしていいのではないか。

白黒はっきりさせる「竹を割ったような」性格だったり物言いが持て囃される。
わかりやすいとか誠実だとか男らしいとか言われる。

まだ結論が出ていない件に関して態度を明確にすることは簡単だ。いろいろな疑念を捨てて、
物事を単純化して、あとは強い言葉で言い切ればいいのだから。

しかし結論が出ていないということは、答えが間違ってる可能性があるということだ。
態度をはっきりしてしまった者は、間違っていることに気づいても、もう後には引けない。
自分の意見を評価してくれている人たちがいる。自分を信じてついてきてくれた人たちがいる。
真実を知ってもそれを採用せず、何やかや理由をつけて、元々の解答が正しいと言い張ることになる。
自分の立場を守りたいから。

曰く、
「可能性がないとはいえない」
「こういう(自分の初期の回答を肯定する)意見がある、論文がある」
「**が徹底されていないからだ、ちゃんとやれば私の意見が正しいことがわかる」

頭のいい人であれば、自分を正当化する言い訳を見つけるのはひどく簡単だ。

意見を保留にしておけば、過去の自分の意見に縛られず、その時その時で最適な対応をすることができる。
自分の専門ならいざ知らず、政治とか感染症とか思想に関して、わざわざ意見を表明することはない。
忘れっぽい人なら、過去に自分が何を言ったかも忘れているだろうから、良心の呵責もなくあっさり意見を翻すのだろうけれど、今はネットに発言が残っているからなあ。
自分の間違いを訂正できない人には辛い時代になった。

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