謝れない世界に

謝れない世界を想像してみよう。
一度謝罪すると、どこまでも糾弾される。それこそ、当事者が死にでもしない限り、ずっと。

その世界では、例え自分が間違っていることに気づいても、絶対に謝ってはいけない。
謝ったら最後だからだ。どんなに滑稽な屁理屈でもいいので、自分が正しいと言いづけることが最善手になる。
いずれ時間が解決してくれる。誰も、そんなこと気にも留めなくなるまで、誰が見ても無理筋の嘘をつき続ける。

どんなに素晴らしい謝罪をしようと無駄だ。
土下座しようが、金を払おうが、その世界ではダメなのだ。
一旦「こいつは、この会社は叩いてもいい」というフラグが立つと、そこから逃げる術はない。

残念ながら、どうも世界はそういう方向に進んでいるように思える。
不倫をするだけで仕事を干される、不正をした会社の社長は、死ぬまで許されない。

私はこういった世界(社会でも、地域でも会社でも好きに読み替えていい)で生活したいとは思わない。
他者の間違いを「自分もそうするかも」と考え、寛容に受け止める世界で暮らしたい。

せめて、自分がコントロールできる範囲は、家庭や会社だけでも、気軽に謝って、気軽に許せる空間のままにしておきたい。

関連記事

  1. 人生はずっとベータ版

  2. 社長を縛れるのは社長だけ

  3. 無くなっていく

  4. 2+2=5

  5. 「家族」「仲間」という言葉を使わない理由

  6. 成果が先、思想や哲学はあとでいい

最近の記事

  1. 病気、風邪、寝込む
  2. 2024.07.16

    今はもうない

読書記録(ブクログ)