全ては一時的なもの

絶対はない。

我が世の春を謳歌した企業なり個人が没落する物語なんて、源平の時代からありふれている。
ブッダは「諸行無常」「諸法無我」と言った。それを理解すれば「涅槃寂静」の境地が得られると。

人の強い感情、怒りや愛情だって、永遠に続くものではない。

自分の持ち物だって、いつ壊れるか、無くなるか、わかったものではない。

自分が信じている人間にだって裏切られることもある、急に関係が途切れることだって、もちろんある。

だから、全ては一時的なものだと考えるようにしている。
誰かが私のコップを壊しても気にしない。陶器はいつか壊れる。壊れるのが嫌ならプラスチックのコップを使えばよかったのだ。
自分が企業競争に負けても気にしない。100%勝ち続けることは不可能だし、不可能を求めれば精神が持たない。
誰かから嫌われても気にしない。好かれていたのが一転嫌われることも、逆もありうる。

と、頭では思っているものの、時に感情がバグを起こしてしまう。
何かに固執したり、惜しんだり、クヨクヨと過去のことを言ったり。
死ぬまでには「涅槃寂静」の境地に辿り着きたいなと願う。

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