価値観の違いで済ませるなら、議論の意味がない

「そこは価値観の違いだな」で議論が終わることがある。
趣味の話ならそれでいいだろう。どちらが正しいと言う話でもないし、相手の価値観がわからないとしても、特に問題はない。

でも、仕事の話ならそれは別だ。価値観が違う、で曖昧に済ませてしまえば、いずれそのつけを払う時が来る。
価値観が違うのならどこがどう違うのか、それを踏まえてどこまでなら折り合いをつけることができるのかをしっかり詰めないと。

正直、面倒だ。だからつい「価値観の違い」という魔法の言葉を用いて議論を終わらせてしまいたい誘惑に駆られる。

繰り返すけど趣味の話ならそれでいい。たとえば私はランニングが面白いと思ったことは一度もないが、だからといってそれを趣味にしている人達を悪く言うつもりはない。
同様に、私の趣味についても誰かから文句を言われる筋合いはない。

仕事は違う。面倒でも厳しくても価値観を理解し擦り合わせる。それが議論であり、価値観の衝突はあちこちで起きる、それが当たり前だ。
それが嫌なら、宗教的な組織を作るべきだろう。私は嫌だが。

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