カメラの存在意義

iPhone15 ProMaxを買った。カメラの性能がすごい。
スマホに搭載されたものでこれだけの性能が出せるのであれば、
専用カメラの存在意義は何なのだろうと思わざるを得ない。

ましてや最近の自分が常用しているのは古式ゆかしきレンジファインダー。
構造上ズームレンズは存在しないので、いちいちレンズを交換し、ピント合わせ、F値の設定は手作業。
撮った写真はケーブルか無線LANかSDカード経由で転送。

かまえたら自動でピントが合って、色調整もあとでできて、加工も容易で、
そのまま友人に送信したりできてしまうスマホと比較すると、なんとも分が悪い。

趣味なので、懐古趣味だと笑われようが、スマホで十分じゃんと呆れられようが、
カバンには必ずカメラを一つ忍ばせて、それを取り出して撮影するだろう。
趣味性が高いデバイスとはいえ、このままではカメラはいつか滅んでしまうだろう。
オーディオプレーヤーのように、ボイスレコーダーのように、PDAのように。

それでもこの趣味を楽しめるかはわからないが、今しばらくは。

(写真はRICOH GR3xで撮影)

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