スティーブ・ジョブズは、いつも同じ服を着ていた。
オバマ前大統領も、服装のパターンをいくつか決めて、それを守っていたそうだ。
他にもアインシュタインや、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグもいつも同じ服装をしている(していた)とのこと。
これは、希少な「意志決定の力」を、服装の選択などという(彼らにとっては)無意味なことに使わないための工夫だという。
ジョブズは単にものぐさなだけだったような気がしないでもないけれど。
因果関係が逆
これに憧れてなのか、「意思決定の力」を消耗させない、という意図なのか、
ずっと同じ服装をしている人がいる。
なかにはそれが「トレードマーク」になっている人もいる。
やたら大きなブローチを付けていたり、
鮮やかな色のジャケットを着てみたり、
普通は着ないようなデザインの帽子や服、
はたまた和服だったり作務衣だったり。
日本ではあまり見ないタイプの帽子を被った士業、
というキャラ付け?で書籍を書いた人もいた(昔その本を読んだことがある)。
個性的と言えばそうだろう。一度会ったら忘れられないインパクトを残す。
だが、毎日同じ服装をしていたらジョブズやオバマになれるわけではない。
彼らはまず先に成功し仕事が忙しくなり、仕事に注力するために、服装を選ばない方法にたどり着いたのだと思う。
因果関係が逆になっているのではないか。
個性とは抑えようとしてもにじみでるもの
だいたい、高温多湿かつ「新しさ」が尊ばれる文化を持つこの日本で、
毎回同じ格好をしていたら、普通の人には
「汚いな、洗濯してるのかな」「この人服を買う金もないのかな」
と思われるだけだ。
個性というのは、意識して作った服装や言動で表現するものではなく、
抑えようとしてもその人からにじみ出てくるものだ。
普通のスーツを着ていたら周囲が感知できなくなるような個性なら、そんなものに何の意味があるというのか。
同じ服装をしていたら成功するわけではない
ジョブズに憧れてタートルネックを常に着ていたエリザベス・ホームズ(セラノスのCEO)は、
米国証券取引委員会から大規模な詐欺を行ったとして告発された。
前述の「帽子を被った士業」、現在のウェブサイトを見ると、
彼は帽子を脱ぎ、スーツ姿になってまじめに専門的な業務の記事を書いていた。
当たり前の話だけれど、服装で個性を出そうが、同じ服装を続けて意思力の消耗を避けようが、
実力がなければ、そしてそれを周囲に認めてもらうための活動(営業なりマーケティング)ができなければ、
顧客の頭に残るのは「いつも同じ服装だったあの人、今は何してるのかな」というありがたくもない記憶だけだ。