「可能性がゼロではないだろう」
「やってみなければわからない」
確かにそうだ。何でもやってみようという姿勢は立派だと思うし、
そこから偶然何かが生まれる可能性も否定できない。
一人で考えるなら、好きにすればいい。
問題になるのは、複数人で会議をするなど
意思決定の場においてこのような言葉を多用することだ。
「ゼロではない」のなら、何パーセントなのだろう。
会議に参加したある人はそれを1%だと思った。
他の人はそれを10%だと思った。
これでは会議がまとまるはずがない。
やってみなければわからない、
ならば、やってみなくてもわかることはないのか?
それは全て俎上にのせて、分析を終えた上で
「やはり、やってみなければ・・・」と言うのは理に適っている。
しかし、わかることを調べずにその発言をするのなら、
単に「威勢がよい」だけの人という誹りを免れない。
何でも数字に置きかえる
中小企業診断士(経営コンサルタント)は「量」「程度」を知りたがる。
「とても儲かった」と経理部長がと言うのなら、
その利益額や売上高経常利益率、キャッシュフローの増減を知りたがる。
「社員の忠誠心が低い」と嘆く社長には、
忠誠心が高いとはどのような状態で、
そのどの部分が足りないと思っているのか、
その定義は従業員に共有されているかどうかを確認したがる。
「来期の売上が不安」という営業部長がいれば、
来期の見込みと取り組み状況、
商品別・担当別・地域別の売上比率を聞きたがる。
「とても」「すごく」「なんとなく」と言うのは誰でもできる。
それを数字にするのは面倒だが、
そうすることで解決に一歩近づく。
他と比較でき、時間軸での変化も評価できる。
うざいとは思うけれど、それを覚悟した上で今日もクライアントにこう聞く。
「それ、具体的に数字にするとどれくらいですか?」