世のなかで行われている決定というのは、
一見、理路整然としているように見えても、
最初に結論ありきで決まっていることが圧倒的に多く、
自分が下す決定もまたそういうものであり得ることは、
あらかじめ認識しておいた方がいいでしょう。好き嫌いは人の常。変えようがないのです。
決定学の法則 畑村洋太郎著
結論ありきの論理展開が怖いのは、主張している本人がそれに気づいていないことだ。
「政府は国民を騙している」
「政治家の**は悪人だ」
「利益を出すのは悪いことだ」
「税金は悪だ、補助金は悪だ」
結論が決まっているのなら、その理由を探すのは簡単だ。
結論を補強する理由のみを選べばいいのだし、そういう視点で探せば、そういう理由しか見つからないものだ。
「決定学の法則」の著者がいうように、結論ありきの議論に陥りがちなのは人の常で、よほど意識しておかないとその思考のクセからは自由になれない。
意図的に自分の「好み」を封印し、反対意見を強制的に考える、いわゆるディベートのような思考方法が役に立つのだろう。
頭の中に、自分の意見に常に反対する仮想の人格を置いておく。
まあ、これがなかなか難しいことなのではあるが。