経営者たるもの、いや人間なら誰でも、世の中の
「潮目の変化」には敏感でなければならない。
世の中の流れがガラッと変わる時がある。今がまさにそうだ。
ちょっと外出すれば、何かが変わり始めているのがわかるだろう。
これまでは悪とされていたことが善となる。逆もまた然り。
悪だと喚いていた多数の方々は、いつの間にか何も言わなくなっている。
ひどい人になれば、これまで賞賛していた人や物事を糾弾し始める。
実は私は最初からそう思っていた、と言わんばかりに。
そうこれはいつか来た風景。
我が国で生きる人々は、今を生きる私たちのご先祖さまは、幕末や戦後に全く同じものを見た。
演じる俳優、演奏する楽器や会場は違ったかもしれない、でも脚本の骨子は同じだ。
そして何の反省もしないまま、同じことを繰り返している。ご先祖さまの教訓は活かされていない。
今回も、逃げ遅れたものを待つのは、これまでとは180度変わった世間の厳しい対応だ。
律儀なものほど、昨日まで正しかった、正しいと言われていた行為をひたすら守り、そして大きな損をする。
あなたが当時信じた賢そうな誰かは、潮目を読んで巧みに立ち位置をずらし始めている。
気がつけば、それまではしっかりと支えられていたハシゴは取り外され、元の場所には戻れなくなっている。
潮目が変わったなら、一貫性を捨ててでもそちらに移るべきだ。
まだハシゴが外されてないうちに、マイノリティになる前に。
昨日まで仲間だった誰かが、「いつまでそんなことしてるの?」と、あなたを嘲笑し始めるその前に。
明治維新後に政府で要職を務めた幕臣のように。
終戦後、恥も衒いもなく「民主主義」を唱え出した学校の教師のように。
行動を変更するのに、何がしかの理由が欲しいのなら、いくらでも考えつくだろう。
できればその理由は「皆がそうしているから」以外の、自主的な判断に基づくものであって欲しいが。