無限の知識という勘違い

ネットを徘徊していると、まるで自分が「無限の知識」を得たように錯覚してしまう。
何せ、どんなことでも検索すれば出てくる。スマホでフリック入力して検索ボタンを押すだけ。

ネット上で議論になった際、お互いに自分の持っている知識だけで議論をしている訳ではない。
自分の知らない知識があれば即座に検索し、ざっくりとした知識を仕入れて持論を補強、議論に勝つべくキーボードを叩く。今仕入れたばかりの、腹落ちしていない知識を。

ネットの広大な海を彷徨えば、自分の意見に賛成しているものがすぐ見つかる。
本当はおなじくらいの反対意見も存在しているのだけれど、彼が選んだ検索ワードからそれらが見えることはない。

現実社会にもネットの「無限の知識」が浸食している。
かなり前の話だが、ある団体の会議の司会進行役を務めたことがあった。
議論の最中にまったく発言しない人が居た。お金を払ってこの場に来てもらっている専門家の方だったのだが、その際に議論しているテーマが、専門外のことだったから話に入れないのだろう、と思っていた。
よく見ると手元のスマホで何か検索しているようだ。
しばらくすると、堰を切ったように議論のテーマについて語り始めた。それは表面をなぞるような、ありきたりの内容だった。
おそらくスマホで「今調べた」のだろう。ちょっと呆れてしまった。知らないなら、黙っていればいいのに。
#そもそも議論中にスマホ触るなよとは思うが

もう辞書は必要ない。図書館も必要ない。博覧強記の人間も価値がない。
だって、スマホで調べればすぐにわかるのだから。
そう思っていた時期があった。でも違った。

ネットで得た知識をそのまましゃべったら、相手から矛盾を指摘されてもすぐには対応できない。
自分の頭で考え、反論も考慮して得た結論は堅牢だが、ネットでインスタントに調べた、背景もわからない、素人かもしれない人の意見なんて、簡単に論破されてしまう。
でも、考えるよりは調べた方が速いしラクだ。調べたことを自分の言葉で置きかえることなく、そのままコピペする方が、速いしラクだ。

そうしていつか、どこまでが自分の考えで、どこからが「ネットで得た知識」なのかわからなくなる。
ありきたりなことしか言えない人間の一丁上がりだ。
彼らは雄弁に騙るが、「きちんと考えた人」と対峙した途端に無口になる。もしくは怒り出す。

結局のところ、知識へのアクセスが速く、簡単になっただけなのだ。
図書館に行って本を探し、ページを手繰る手間がなくなった、ただそれだけ。

皆が意見を述べるようにはなったが、傾聴に足る意見を述べることのできる人の割合は、昔とそれほど変わらないのではないだろうか?

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