部下に「自分が間違っていた」と言えるか

部下だろうが顧客だろうが、年下だろうが、居酒屋の店員だろうが。
自分が間違っていたときは素直にそれを認め、謝れる人間でいたい。

部下に対する謝罪は、上官にとって
己の見識が間違っていたことをさらす瞬間だ。
容易いものではない。
しかし、過ちを認められない無能と
見做されるよりはまだましである。

ー 幼女戦記 5 Abyssus abyssum invocat / カルロ・ゼン著

自分が誰かから正しい意見を言われているのにもかかわらず、
自説に拘泥していることに気づいたらすぐに軌道修正するようにしている。

簡単だ。
「なるほど、それも一理あるな」
「その視点はなかった」
と発言すればいい。

「謝ったら死ぬ病」に罹患している人を何人か知っている。
士業という普段から「先生」と呼ばれ(外形的には)尊敬される我々のような職業ならなおさらだ。

謝らなければ自分の威厳やら権威を維持できる、と考えるなら、それは間違っている。
たしかに、ある程度の知性があれば理屈はどうにでも付けることができる。
自分の間違いをごまかすことも、それほど難しくはない。
しかし、引用文にもあるように、部下や顧客、周囲からはただ「過ちを認められない無能」と思われるだけだ。
そして有能な人物であればあるほど、あなたから静かに離れていく。

自分が間違っていた事を認めるのは、短期的には議論に負けたと、敗北だと思うかもしれない。
しかし、コミュニケーションの結果、より正しい理解に近づいたことを喜ぶべきであり、
長期的には勝利を得るためのアドバイスをもらったことに感謝しよう。

目の前の戦場では負けたかもしれないが、少なくとも長期にわたる戦争で勝つための知恵は得られたのだから。

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