それは本当に自分の意見だろうか?ネットのどこかで読んだ意見をオウムのように話しているだけでは?
フェイスブックがわれわれが誰なのかを定義し、
アマゾンがわれわれが欲しいものを定義し、
そしてグーグルがわれわれが何を考えるかを定義する。ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂ーコンピュータの創造とデジタル世界の到来」より
ネットの海に溺れていると、どこまでが自分の意見でどこまでが他人の受け売りなのか、だんだんわからなくなってしまう。
ネットに限らない、テレビだって、読書だってそうだ。もちろん誰かとの対話だって。
思考の「アウトソーシング」と言うべきか。もちろん外注で得た知識は浅く、狭い。ちょっと突っ込まれれば矛盾が露呈してしまう。
たまには情報を遮断して自分の頭だけで考える時間が必要なのだろうと思う。
そんな時間を設けることが、とても難しい時代になってしまったけれど。