仮説検証の罠(確証バイアス)

仮説思考というのは役に立つ。

やたらめったら試すのではなく、自分なりの「仮説」を立ててから、それを検証する。
検証した結果がイエスなら、仮説は正しい(正確には、正しい可能性が高い)。
ノーなら、仮説が間違っていたということで、別の仮説を立てて、再度検証だ。

この考え方のいいところは、スピードが早まることだ。
全部を検証してたらいくら時間があっても足りない。仮説を最初に立てることで、最短距離でゴールにたどり着くことができるかもしれない。
もちろん、経験のない分野であれば、的外れの仮説を立ててしまう可能性はある。それでも、検証で間違いが見つかり次の仮説を試す・・を繰り返せば、総当たり戦よりは早いだろう。

余談だが、4桁の数字で開けるタイプの鍵を解除しようとした場合、0000から始めるのではなく、0101から始めた方が正しい暗証番号にたどり着くまでの時間が早いそうだ。これは誕生日に設定している人が多いことを想定しており、9999回試すよりは、365回試して見て、だめなら0000から始めた方が効率がいいからだ。

とはいえ、仮説思考にも弱点がある。なんというか、自己否定の精神が必要で、それを持っている人はそういないということだ。
検証した結果が多少仮説とずれていても、「これで仮説が証明された」と勘違いする、あるいは強弁する。
最初から仮説に適合する可能性が高いような情報ばかりを集める、また逆に、仮説に適合しそうにない情報は意図的に、あるいは無意識の内に無視する。

仮説が間違っていたら、再度仮説を立てないといけない、それは面倒だ。
また、仮説が間違っている、ということは、自分の初期の判断が間違っていた、という意味になる。それを認めるのは辛い。
検証に時間がかかっていたら尚更で、ここまでの時間と努力を否定できるか?自分についてきて、調査を行ってくれた部下になんて言う?

本来は「仮説」はあくまで仮のものなので、間違っていたとしても「あれ違ってたか、さあ、次、次!」と軽く捉えるべきではあるのだけれど、そう簡単には行かない。
筆者はコンサルティング時代に、初期の仮説にこだわるあまり、その無益な検証に時間を浪費してしまった上司を見たことがある。(私の指摘には耳を傾けてはくれなかった)
仮説思考の訓練を受けているはずの経営コンサルタントでさえそうなのだから、いわんや不慣れな人間をや。

仮説に反駁する。敢えて、自分の仮説に反対しているとして思考を進める。
自分では難しければ、他者にその役割を担ってもらう。
仮説を重く考えず、愛着を持たず、衣服のように簡単に着替えることができるものだと考える。
仮説を捨てる勇気を、そこまでの努力を(全部ではないにしろ)無駄にする勇気が持てるか。

ここがポイントなのだけど、本当に難しい。
もう経営コンサルタントを10年以上やってるし、前職のSE時代も仮説思考を心掛けていたけれど、いまだにうまくできないことがある。

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