人生の「強度」

最近、人生に「強度」が足りない気がしている。
「強度」の定義は自分でもよくわからないけれど、
挑戦、抵抗、実践、実感、勇気、限界というか、その類の何かだ。

独立当初の、金もなく、仕事もなく、将来のことも
全くわからなかった頃の方が「強度」があった気がする。

今は「強度」が足りない。
従業員も増え、皆有能で、全てを自分で把握しなくても仕事が回るようになった。
資金も、少なくとも数ヶ月後に枯渇することはあり得ない程度には手元にある。
将来のことはいまだに不明ではあるが、一人でやっていた頃に比べれば、不確実性は減少したように思う。

ヒリヒリしていない。全く。

先日、ある成功した経営者と話をした。彼はウルトラマラソンとかのいわゆるエクストリームスポーツにハマっていた。
非常に合理的な考え方をする人物だ。適度な運動ならともかく、体にダメージを
与えかねない激しいスポーツをやっていることは彼の普段の発言からは想像がつかなかった。
聞くと、そういったスポーツを始めたのは、事業が軌道に乗った数年前からだそうだ。
「自らを生命の危険に晒さないと、暇で死んでしまいそうだ」と彼は語っていた。
私と同じように、人生に「強度」が足りないと感じて、エクストリームスポーツでそれを埋め合わせているのだろう。

強度が足りないのであれば、知人経営者のように自ら作るしかない。
ウルトラマラソンどころかハーフマラソンすら完走できそうにない私は何をしたらいいか、ぼちぼち考えてみよう。

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