私の人生は、誰かの生活をただ眺めるためにあるのではない

ディスコミュニケーション

最近、Facebookやinstagramといった、
いわゆるSNSの類いをほとんど使っていない。

それらの利用が楽しくない、という訳ではない。

友人知人の近況を見るのは面白いし、
思わず笑ってしまうようなネタや、
自分の観測範囲では絶対に見つからなかった
ような知識に出会うこともしばしばだ。

一時期は毎日のようにログインし、
隙間時間に誰かの投稿を見てはコメントしていた。

忙しくなり、見なくなった

なぜSNSを見なくなったかというと、忙しくなったからだ。
ここ数年で仕事も増え、取引先もスタッフも増え、
仕事の内容もより複雑かつ多岐にわたるようになった。

いつのまにかSNSから遠ざかってしまった。

年初の仕事が落ち着いていた時期、SNSを見る余裕は
あったにも関わらず、ほとんどアプリを立ち上げなかった。

私の習慣から、SNSは完全に抜けてしまったようだ。

#ただし、言いっぱなしで済むツイッターのみは
#備忘録として続けている。

自分の時間が増えた

SNSをほぼ見なくなって以降、仕事や趣味にかける時間が目に見えて増えた。
時間が増えただけでなく、それぞれの質も上がったように思う。

言い方を変えれば、生産性が大きく向上した。

自分の人生を生きる

一度SNSを見なくなってしまえば、
友人知人がどこで何をしてようが、
まったく気にならなくなる。

そういえば、そもそも私はそういう、
他人の行動がそれほど気にならない、
淡泊な人間だったな、と思い出した。

あの頃、なんであんなに友人知人の生活が気になっていたんだろう?

自分より幸せな生活を送っている人を見て羨望のまなざしで眺めていたのか。
自分と同じ程度の人を見て安心したかったのか。
それとも、自分より不幸に見える生活を送っている人を見て、冥い喜びを感じていたのか。

SNSと程よい距離感を保って付き合える人が多いとは思う。
なのでSNSの利用を否定している訳ではない。
ただ、自分のような内向的な人間には、
SNSでのコミュニケーションはやや過剰だったようだ。

「私の人生は、誰かの生活をただ眺めるためにあるのではない。」

SNSを辞めたおかげで、自分の人生をより良く生きられるようになった、
というのは言い過ぎだろうか。

関連記事

  1. 自分一人のせいではない、すべてではない、ずっとではない

  2. 足の裏についた米粒でお腹いっぱい〜診断士になって9年目、独立7年目の年…

  3. いつまでたっても先生に見えない

  4. 参拝。神に願うのではなく、自身を振り返る時間

  5. 曲がりくねった道

    しつこく考え、問い続けること。

  6. 誰とでも丁寧語で話す理由

最近の記事 おすすめ記事
  1. 講演、セミナー
  2. 休暇
  3. 2019.07.15

    まずは寝よう

読書記録(ブクログ)