働けるのだが

スマホ(iPhone)の「Life Cycle」というアプリを使っている。
これはGPSを使って常時持ち主の居場所を記録、居場所から行動を推測し統計を取るアプリだ。

たとえば私なら、大手門1−8−8に居るのならそれはほぼ職場であり、仕事をしている。
自宅の住所なら自宅、熊本にいるのであればそれは出張中だ。
博多駅にいる際は食事や本屋かはたまたコーヒーを飲んでいるのか、電車を待っているのかわからない。
それはその都度手入力で行動を設定する。

過去を振り返れば、自分の人生が何にどれだけ使われていたのかが、よくわかる。
人間の行動なんてそれほど複雑ではなく、いくつかの場所を行ったり来たりしているだけ、というのもよくわかる。

2021年のデータを振り返っていると、年間346日は事務所へ行っていた事になる。
逆にいえば、事務所に行かなかったのは年間わずか19日だ。
ちょっと働きすぎだな・・と思って、さらに過去のデータを見てみると、
2020年は2日、2019年は40日だった。どうも昔からそういう働き方だったらしい。

労働時間は無制限

経営者は仕事時間に制限がない。これはメリットでもあり、デメリットでもある。
残業代や労働基準法を気にせず、自分の好きな時に好きなだけ働ける。仕事にだけ集中できる。
デメリットは、歯止めがないこと。いつまでも仕事をしてしまう。

一人でやってた頃はメリットを甘受していた。気が乗らなければ平日でも仕事をせずに旅行に行くし、
海外を1週間くらいぶらぶらしたこともある(ノートPC持参で仕事をちょこちょこしてはいたが)。

人を雇い組織を作ってからはそうも行かなくなった。
私が勝手に休んでしまったら、社員が困る。
社員が働いているのに私だけ休むなんて、なんとなく気がひける。

従来は自由に働いていたのに、いつの間にか、平日の9−17時は働いて、プラスアルファ土日や夜間も仕事する、といったスタイルに変わってしまっていた。
これでは働いてばっかりだ。

暗い顔をしているね

人を雇ってしばらくした頃、古い友人にあった。
「ちょっと前のお前は自由に生きていたけど、最近はなんか自由がなく暗い顔をしているように思う」
と指摘された、その時は軽く聞き流していたが、私はそれからずっと、自分に自由がないことを誤魔化しながら暗い顔をして生きているのかも知れない。

働きすぎる社長の弊害

50歳を前にしてこのような働き方をしていては、体を壊してしまいそうだ。
私が体を壊したら、多方面に迷惑をかけてしまう。それは避けたい。
社長が常に忙しそうにしていて、土日も働いていると知れば、社員はそんな忙しい社長には声をかけづらいだろう。結果、情報は社長に届かなくなる。社員も不満を溜めていく。
私が休まないと、社員だって休みを取りづらい。

明るい顔に

経営者は働こうと思ったら制限なく働ける。
でもそれは「可能だ」というだけであって、それが最適解というわけではない。

独立してから、いや、法人化して雇用を始めてからだろうか、
少し働きすぎだったように思う。
スローダウンというかクールダウンというか、労働時間を減らしても生産性を維持する、個人ではなく組織としてそれをやる、
そんな意識の変革が求められているように思う。

いつか、件の友人から、「前の自由な、明るい顔のお前に戻ったね」と言われたら、変革に成功した、と考えていいだろう。

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