命の過剰洗濯

旅行に行くことを「命の洗濯」と呼ぶことがある。
日常とは違う環境に身を置くことの刺激は、確かに命の洗濯と言っていいほどの効果があると思う。
海外は特にそうだ。国内だって、地域が違えば文化は異なる。その違和感が面白い。

今年に入ってから多くの出張や旅行を楽しんだ。
(出張は仕事ではあるが、楽しめる要素はいくらでも作れる。訪問先の企業の近くにある神社を訪ねるだけでもいい)

コロナ禍では大っぴらにできなかった旅行。
どこに行っても人手が戻ってきているのを感じる。

皆、きっと、前からずっと感染自体はそれほど怖くなかったのだろう。
怖かったのは、周囲の人の目と彼らからの非難だ。それさえなくなれば、社会は元に戻る。
何事もなかったかのように。特定の人間に酷い差別を行ったことすら忘れて。戻れない人間を逆に嘲笑いながら。

調子に乗って旅行しすぎたのか、最近は命の洗濯をしすぎて、命の生地が痛んできたようにも思う。
端的にいうと疲れた。次の週末は家にこもって読書や映画三昧としようか。

(写真は平戸城、10mmの超広角レンズで撮影)

(平戸城上空を旋回する鳥。一見自由に見えるが、風向きからはさほど自由ではいられないのだろう)

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