手段と目的。
この目的を達成するために、この手段を使う。なるほど。
他の手段はないか
でも、他の手段はないだろうか。
その目的を達成するための手段はひとつだけ、
という様な問題はほとんどない。
多くの場合は、複数の手段があるはずだ。
それらは検討したのか?検討した上で、「現状取り得る最善の」手段を選んでいるのか。
最善の手段でない場合、なぜその手段を選んだのか?
周囲の声に押されて?上司の指示で?
それが悪いとは言わないが、自分が「最善でない」手段を取っていることには自覚的でありたい。
他の目的はないか
もうひとつ考慮すべき点は、「他の目的」はないかどうかだ。
その手段を選択することで、達成される他の目的はないだろうか。
もしかしたら主張をしている人の本当の目的は、その「他の目的」の達成にあるのかもしれない。
表向きの目的は、自由のため、人権のため、弱者のためと、誰も否定できないものを掲げる。
しかし本当は、それにより自分ないし自分の所属する組織の権益を拡大することが目的である場合も少なくない。
企業はSDGやら社会貢献を謳うが、本当の目的は別にあるのかもしれない(たとえば、利益の極大化とか)。
社会を憂い処方箋を示し周囲を扇動する人には、別の目的があるのかもしれない(たとえば、現政権の打倒とか)。
その手段がもたらす副作用もあり得る。
公害問題などを想像して欲しい。
面倒な人間になってしまった
こんなことばかり考えているから、
すぐに「何か裏の目的があるのではないか」とか、
「他の手段があるのにそれを敢えて言ってないのではないか」と訝る、
面倒くさい人間になってしまった。
経営コンサルタント(中小企業診断士)という仕事柄その特性は有益ではあるのだが、人間としてはいかがなものかとも思う。