「なぜ」ではなく「どうしたら」

「なぜこんなことになったのか」
「どうしてこんな事態が起きてしまったのか」

なんて考えても、あまり意味のある結論は見いだせない。
機械ならいい。どこかの部品が壊れて、こんな悪い結果になったと、因果関係がある程度明確に掴めるからだ。

仕事はそうはいかない。たくさんの人間が関わればなおさら。
無理に「なぜ」を突き詰めると、「誰の責任か」といった追求か、「誰だれは怠けている」みたいな精神論の話になってしまう。

「なぜ」はほどほどでよい。過去はどうしようもない。
適切な判断をするための情報としての「なぜ」は考えてもいいだろう。でもそこまでだ。
「誰が」を突き詰めて個人攻撃をしたって何も解決しない。

問うべきは「どうしたら良くなる?」だ。事態を解決するために「今から未来にかけて」何をすべきか?
「なぜ」は、「どうしたら」を決定するために必要な最低限の分析さえすればそれで十分だ。

関連記事

  1. 本当にそれは全体なのか

  2. 正義、校正、法律

    自然主義の誤謬、道徳主義の誤謬

  3. 思考法その5〜叱れば成績が伸びる?【平均への回帰】

  4. その怒りは誰のため

  5. 「テキサスの狙撃兵」成功事例のみを声高に話す

  6. 「問題」という単語の多様性

最近の記事

  1. 2026.07.13

    勝てば官軍
  2. 2026.07.09

    占いの価値
  3. 2026.07.03

    東京に住む

読書記録(ブクログ)