評価される場所に出ていこう

評価(賞賛)されない環境というのは辛い。

人はどうにかして自分を特別な存在だと思いたいので、
挫折でさえ自分が特別であることの証拠にし、
挫折したというさかさまのエリート意識を持つ。

他人に賞賛して貰えないなら、自分で賞賛するしかない。
そこでは他人の賞賛が軽蔑となり、軽蔑が賞賛となる。
あんな馬鹿どもに理解されなかったとは、なんとも運がいいことだ!
私を無視するならそれでも結構、こっちこそ願い下げだ。
あんな奴らに賞賛されてしまっては、それこそ不名誉だー

「生まれてきたことが苦しいあなたに」大谷崇

誰からも賞賛されない環境に身を置き続けると、どこかで歪んで、逆転してしまう。
そして、歪んだ自己認識のままで、本当は欲しかった賞賛を受けることは、もうない。

なので、きちんと褒められて、評価され賞賛される場所に出ていこう。
「まだ本気を出してないだけ」という言い訳が通用するのは若い間だけで、中年になってからそんなことを言うのはみっともない。

もちろん、結果として評価されない場合もある。賞賛どころか罵倒される場合も。
評価が見える化されると言うのは、いいことばかりではない。
自分が「特別な存在」ではないと自覚するのは、気持ちのいいことではないから、できれば避けたい。
でも、「世間は俺のすごさをわかってくれない」みたいなことを言う人間になるよりは、なんぼかマシだ。

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