「思い込み」は、悪いことではない。
それは通常時には、思考を省略するツールとして役に立つ。
複雑な意思決定を行う際に、全ての条件を網羅し順位付けをして比較し最適なものを導き出すという行為を行っていたら、時間がいくらあっても足りない。
「常識」や「思い込み」というフィルターで処理すれば素早く意思決定できる。そしてそれは、大抵の場合正しい。少なくとも、大きく間違ってはいない。
思い込みが邪魔になるケース
新規事業の立案、はじめて遭遇する問題の解決・・・そういった前例のないケースでは「思い込み」が邪魔になる。
思い込みを分類すると、次の6つとなる。
実用性の重要視
非現実的なアイデアは検討するに値しないと考える。
一件、実用的でないアイデアでも、そこからなにがしかの気付きが得られる可能性があるが、
実用性を過度に重要視して、誰でも思いつくような現実的なアイデアしか出てこなくなる。
確証の絶対化
説明できない事象に遭遇したときに、それは例外であるとして無視する。
データによる裏付けがない、確証が取れない情報を信用しない。
確証が取れないというのは、あくまで現時点における情報とそれを取得する技術の限界がそうさせているだけなのかもしれないのに、データを神聖視する。
汎用性の過大な評価
ここでダメなら、余所でもダメだと過度に一般化する。
ある職場で低評価だった人間が、転職後に活躍するという例を認めない。
ある場所と条件で発生した現象は、場所と条件が変わっても同じように発生すると過信する。
伝統の盲信
いつものやり方がベストであると信じてしまう。
別のやり方があるのではないか?とは考えない。
いつものやり方は、当時の状況ではベストだったかもしれないが、
それから時間が経った現在ではそうでないかもしれない。
最初の結論の特別視
最初に出した結論がベストだと信じてしまう。
直感は正しい場合もあるが、いつもそうだとは限らない。
複数の結論を考えるという面倒な行動をしたくないという理由もある。
個人的意見の一般化
「私はいいと思わない」「私は買わない」という主観的な意見を一般化し、
「だから【みんな】いいと思わないだろう」「この商品は売れない」とする。
論理や法則を使うのではなく、
周囲の人間全員が自分と同じ意見だという素朴な思考がそうさせてしまう。
意識的に思い込みを外す
これらの思い込みに囚われてしまうのは、人間だから仕方が無い。
普段の活動はそれでも上手くいくし、何の問題もない。
それは自然な行動であり、無意識にそうするものだ。
ある特殊な条件下においては、これらの思い込みを意識的に「外す」ことで、
よりよい結論に辿り着ける。
人間がどういう思い込みに囚われるかをあらかじめ知っていれば、結論を出す前にいったん立ち止まり、意識的に思い込みを外して考えることはそれほど難しくはない。