森博嗣の小説「すべてがFになる」、
登場人物の一人、犀川の発言からの引用。
ちょっと長い。

「他人の干渉を受けたい人だっているわ」
萌絵は小さな口を少し曲げる。
片方に笑窪ができた。
「そう、ほとんどの人は、
何故だか知らないけど、
他人の干渉を受けたがっている。
でも、それは、突き詰めれば、
自分の満足のためなんだ。
他人から誉められないと満足できない
人って多いだろう?
でもね・・・・、
そういった他人の干渉だって、
作り出すことができる。

つまり、自分にとって都合の良い
干渉とでもいうのかな・・・・、
都合の良い他人だけを仮想的に
作り出してしまう。
子供たちが夢中になっている
ゲームがそうじゃないか・・・、
自分と戦って負けてくれる
都合の良い他人が必要なんだ。
でも、都合の良い、ということは
単純だということで、
単純なものほど、簡単にプログラムできるんだよ。
ー森博嗣「すべてがFになる」より

この小説が刊行されたのは1996年。
日本人のほとんどがインターネットに
アクセスできていなかった時代。
PCの性能は低かったし、スマートフォンも
まだ存在しなかった。

小説が書かれた時代から20年以上が経過し、
主人公の犀川が言う、
「都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう」
行為が、まさに現代のSNSではないかと思った。

承認欲求をどうコントロールするか

承認欲求を否定しているわけではない。
誰だって、誰かに認められたい気持ちを持っている。
#もちろん、筆者もそうだ。

認められたくて、「稼いでいます」とか「友達が多いです」とか、
「皆に大事にされています」と、SNSで大声で叫ぶ。
間接的にアピールする人もいれば、
まるで札束の写真をアップするような、
なんというか、品のない人もいる。

冷静になって、神の視点で、自分の行為を見つめてみよう。
何かをやった結果、他人に認められることはいい。
しかし、順番が逆転してはいけない。
つまり、他人に認められるために、何かをするというのは間違っている、ということだ。

後者の「罠」に陥ってしまうと、
自分の人生を生きることができなくなる。
他人の評価があなたの人生を決めてしまう。

あなたの人生は、誰かに褒められるためだけに
あるわけではないだろう?

自分のなかにある承認欲求との付き合い方、
きちんと整理してみよう。