ちゃんと観るということ

毎朝の通勤経路の途中にある「櫛田神社」。日々参拝しているのだが、
今日は日曜日ということもあり、またちょうどいいタイミングで朝の祝詞の詠唱と太鼓が叩かれていたため、
いつもなら参拝してすぐに通り過ぎる神社に少し長い時間佇んでみた。

毎日見ているはずの神社も、こうやって時間をかけて「観る」と、思いがけない発見がある。
両側に三又の鉾があることに気づいていなかったし、横に龍のような鳥のような謎の生き物がいることも、
獅子?が籠のようなものを持っていることも、全く知らなかった。

一つのものを集中して観察する機会は、最近かなり減ってしまったように思う。
大人になって世界のほとんどが既知のものになってしまったせいか、
それともスマホや広告がそうさせないよう仕向けているのか。

ある日、よく通る道の横にあったビルが解体されていて、
「あれ、ここにはどんなビルがあったっけ?」と、全く思い出せなくてびっくりすることがある。

見ているけれど、観てはいないのだろう。
「観た」つもりになっているから、始末が悪い。

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