不平等と不公正

人間は嫌がるのは、不平等ではなく不公正だそうだ。

全員が同じルールに基づいてゲーム(人生と言い換えようか)に参加していて、各人がそのことについて納得しているのであれば、その結果が平等に分配されなくても満足する。
たとえば貧富の差が拡大したとしても、それを受け入れる。

満足できないのは、「誰かが特別な待遇を受けている」「抜け駆けをしている」場合。
人が金持ちを批判するのは「あいつは何かズルをしているに違いない」と思うから、つまり、「ルールが不公正だ」と感じているからだ。

実際にルールが不公正かどうかはわからない。充分に公正なものかもしれない。
とはいえ、完全に平等な条件下での競争というのはあり得ないだろう。
情報は均等には行き渡らないし、個々人の知力や体力・外見にはどうしようもなく個人差がある。もちろん「時の運」という得体の知れない要因だってある。

著名な心理学者スティーブン・ピンカーはこう言う。

人は国が能力主義社会であるかぎりは経済的不平等を受け入れるが、
国が能力主義社会だと感じられなくなったときには怒りを覚える

もっとも、失敗している人が「自分には能力がないから(現在の)不平等は仕方がない」と悟ることはない。
そんな辛い自己認識を受け入れるよりは、実際のルールが公正かどうかに関わらず「不公正だ!あいつらはズルをしているに違いない!誠実な私は社会の被害者だ!」と大声で訴えた方が、自己の安定を図れるだろうから。

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