道徳ではなく知性を用いる

正義、校正、法律

道徳の規準は人それぞれです。

その基準の振れ幅は大きく、道徳を前提にして話を進めると、最終段階になって「実はさっぱり相互理解できていなかった」ということになりかねません。
#「常識」や「当然」も同じく気をつけなければならない単語です。

道徳ではなく知性(知識)や論理を用いて話をしなければ、本当の意味で理解しあうことはできないでしょう。
説得のテクニックとして、情熱や権威に頼るのは仕方がありません(人間は論理だけで納得してくれませんので)。
しかし、ふんわりした「道徳」を持ち出すのは悪手です。

“他人の批判に応えられるだけの勉強をしている者なら、目下の者から批判されようが、いいわけをされようが、きちんと答えを返せるはず。
知に対する批判を道徳で押さえ込もうとするのは、おのれの知性に自信がない証拠です”

部下や学生、目下のものから自分の意思決定や行動について批判されても、知性で回答できる人間でありたいと思います。
そのためには、自分の行動を常に説明できる状態にしておく必要があります。つまり、引用部分にあるように「他人の批判に応えられるだけの勉強」をしていなければならない。
日々修行ですね。

関連記事

  1. 可能と不可能、それを識別する知恵

  2. 仮面で握手

    「不正」が発生するとき

  3. 報酬を増やすだけでいいのか

  4. 出来事とその対応は別物

  5. 無理に天国を作ろうとすると、たいてい地獄ができあがる

  6. 「悩む」と「考える」は違う

最近の記事

  1. 2026.01.09

    実社会の方が
  2. 新年、鶴、富士山
  3. 本棚

    2025.12.24

    2025年の読書
  4. 2025.12.23

    賃上げの哲学
  5. 遠くを見る

読書記録(ブクログ)