全ては主観であり、失うのは現在のみである

道に迷いそうな時は、
マルクス・アウレリウスの「自省録」を読む。

事務所の自分のデスクにいつも置いてある。
いつでも開けるように。
ローマの哲人皇帝からアドバイスをもらえるように。

すべては主観にすぎないことを思え。
その主観は君の力でどうにでもなるのだ。
したがって君の意のままに主観を除去するがよい。
するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、
見よ、凪と、まったき静けさと、波も無き入江。

各人の生きるのは現在であり、
失うのも現在のみであること。
以上を忘れているのだ。

なにをなすべきか、ということを見る眼が君にあるのに、
なんの当て推量をする必要があろう。
もし君が自分の道を見ることができるなら、
わき道せずにいそいそとその道を歩むことができるはずだ。

これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。

過去の偉人と対話できることが、
古典を読むことの意義だと思う。
たとえ文章が古くさくとも、
当時の歴史を学ばないと理解できないとしても、
その価値はある。

テクノロジーは進歩したが、
人間の営みはたいして変わっていないのだから。

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