自由と平等のユートピア

自由を突き詰めると

自由を突き詰めると、格差が生まれ、平等はないがしろにされる。
自由な環境では、能力差が顕著に出るからだ。運の要素もある。
いわゆるマタイの法則が発動する。いわく「強き者はますます強く」。

格差は開く、富める者と貧しい者は分断される。ディストピアだ。

平等を突き詰めると

一方、平等を突き詰めると、自由は制限される。
条件を揃えようと思えば、能力に関係なくリターンは同じとなる。
もしくは何らかの形、たとえば補助金などで能力差を調整することになる。
共産主義国の失敗をあげるまでもなく、いずれ破綻するだろう。
そんな社会で、誰が頑張って働こうと思うだろうか?
#中国は共産主義ではない、縁故資本主義といったところだ。

平等を突き詰めた結果、皆が平等に貧しい社会ができあがる。こちらもやはりディストピアだろう。

ユートピアを作るために

ユートピアは作れるのだろうか?
自由と平等は両立しない。両者の中間、ほどよく自由で、ほどよく平等な社会がユートピアにもっとも近いのだと思う。
自由70%、平等30%のような。割合は適当に書いている。
#ちなみにユートピアとは、「どこにもない場所」という意味だそうだ。

私は政治家でも官僚でもないので、天下国家を論じても意味がない。
雑談としては面白いが、直接影響を及ぼす手段がないのだから、楽しむための議論にしかならない。
いや、選挙があるが、その影響度は恐ろしいほどわずかで、しかも間接的だ。

また、私が考えていることを、選良たる政治家や競争を勝ち抜いた官僚が気づいていないとも思えない。
むしろ、私なんかでは気づかないたくさんの制約条件を知っていて、だからこそ安易な解決策が取れないのだろう。
「**すればいいのに」という外部の声は、内部の人から見れば、そのほとんどが詳細を知らない外野の戯言だ。

自分の会社なら、少しは

ただ、会社なら、自分が経営している組織なら、ある程度はコントロールできる。
もちろん100%ではない。外部条件は変動するし、人の心は操作できないのだから。
それは万人には開かれていないという意味でユートピアではないかもしれない。
仕事をしない人、周囲に悪意や不安を振りまく人の居場所はない。
ただ少なくとも中で働いている人達にとっては、そうであるような環境が作れれば良いなと思ってる。
会社に来るのが苦痛ではないような、転職したいと思わないような。他の環境では、今よりも良い仕事ができないと思ってもらえるような。

明確な答えがあるわけではないだろう。
組織がでかくなればなるほど、その連立方程式は複雑極まりないものになるはずだ。
無理かもしれないけれど、少なくともそこに「向かっている」という気持ちだけは失いたくはないものだ。

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