罪とバス

(ドストエフスキーさん、ごめんなさい)

企業経営の「人」の問題はバスに喩えられることがある。
「誰をバスに乗せるか」が重要だと。

—-

彼はバス停で待っている。バスが来る。
間違ったバスに乗ってはいけないし、運転手も彼を乗せるべきではない。
そのバスの中では彼は活躍できない。
他の乗客と馬が合わないかもしれない。
そのバス停に付く前に乗員たちの間でできた無言のルールや文化を解読し適応することができないかもしれない。
彼が望んだ行き先には、そのバスが到着することはないかもしれない。
運転手に「俺が望む行き先に変更してくれ」という要望を出しても、聞き入れてもらえる可能性は非常に低い(だって、事業計画通りに運行しているのだ)。

彼は他のバスに乗ってさえいれば、スーパーヒーローになれたかもしれないのに、もったいない。
乗るべきではなかったバスに乗車している時間、彼は自分の能力が活かせず、鬱屈とした思いで日々を過ごすことになる。
そのズレを認識しなんとか調整を繰り返す日々は、本人のためにも、バス(会社)とその運転手(社長)にとっても、ただただ疲労が蓄積するだけの毎日だ。

一度バスに乗せてしまえば、次のバス停まで彼を降ろすことはできない。
快速ならバス停とバス停の間の距離は長い。
やっとバスを降りた時には、彼はもうバスに乗る前の彼ではなくなっている。
時は経過しているし、考え方も変わっている。知力も体力も変化している。
降りたバス停からでは、本来彼が行きたかった行き先には辿り着けないかもしれない。

彼を間違ったバスに乗せてしまったことは「罪」だと思う。
乗車前に「行き先が違う」と丁寧に伝えるべきだったのだ。

下ろすのが可哀想だ、もっとチャンスを・・と思う裏には、「自分のバスは素晴らしい」と思う傲慢さが隠れている。
もっと良い条件のバス、彼がもっと輝けるバス、彼が求める行き先に向かっているバスがすぐ近くを走っているのに、下車させないこともまた「罪」だ。

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