諸行無常が身に沁みる

新年から不幸な事故が続いている。
いや、続いていると感じるのは主観的にそうだというだけであって、
幸福な出来事だってきっとたくさんあったと思う。
ただ、不幸がもたらす強いメッセージ性にかき消されてしまっている。

ブッダは、一切皆苦、諸行無常、諸法無我といった。
全ては苦しみで、あらゆるものは変化し、我は存在しないと。

なので苦しみを脱して、涅槃寂静の境地に行こうと。

(良くも悪くも)変質した日本の仏教は、困っている人を目の前にそんな「冷酷な」メッセージは送れないと思う。
困っている当の彼らだって、そんなコメントは望んでないだろう。下手をすれば石を投げられそうだ。

世の中は楽しいことに満ちていて、今の状況が永遠に続き、自分は確固たる存在だ。
ついそう考えてしまうが、実は自分が立っている地盤はとても危ういもので、明日がどうなるのかさえ誰にもわからない。

被災地のことを考えると辛くなるので、募金をする。そしてあまり考えないようにする。
私の祈りはきっと彼の地には届かない。届いたとしても、おそらくなんの効果ももたらさない。
今いるこの場所で働いて金を稼いで消費して納税して、そして僅かながらの募金をすることが、私にできることだ。

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