「思いやり」の押し付け

「思いやり」というのは、自発的な感情であって、
誰かから強制される類のものではない。
そう思っていた。

ルールを守らない人はどうやったって出てくる、
それでもなんとか回っていくのが堅牢なシステムで、
それを目指さないといけないと思う。
「思いやり」という美名のもとに何かを強制し、
システムを安定運用させる、といった雑な手法は取りたくない。

しかもその思いやりとやらが虚偽の情報に基づくものならばなおさらだ。
実は特定の個人の「俺がこれが嫌だ」を、
まるで周囲がそう思っているかのように偽装しているだけといったこともある。

千羽鶴や募金が苦手なのは、ある特定の「正義」を勝手に定義されて、
それを実行することが思いやりだと強制されているように思うからだ。
やりたい人がやればいい、私はそれを止めることはない。
でも、やらない人を「人でなし」呼ばわりしないで欲しい。
自由な選択であり、個人の自由だ。

「それくらい、やってあげてもいいじゃないか」だって?
そうだね、1930年代のドイツに住んでいたユダヤ人も、きっとそう言われていただろうね。

関連記事

  1. 10コロナまで

  2. 承認欲求との向き合い方

  3. 吊り橋

    寂しい谷を一人で渡る

  4. リッチ オア キング

  5. はしごを降りるとき

  6. 暇がない方が

最近の記事

  1. 2022.01.11

    実行力の差
  2. 2022.01.06

    さようならSNS

カテゴリー

読書記録(ブクログ)