「わかりやすい」の落とし穴

「わかりやすい」というのは、いいことばかりではない。

経営はもちろん、世の中の物事や概念というのは大半が複雑なものである。
複数の人間の思惑、多数のルール、法規制、状況によって移り変わる項目・・それらの組みあわせが何かの物事をかたちづくっている。
時間が違えば、場所が違えば、同じ物事でも結果が変わりうる。
(アメリカで公民権法が制定されたのは、ほんの50数年前で、それまでは人種差別が法的にも認められていた)

そんな複雑な物事や概念を「わかりやすく」伝える。このこと事態に異論はない。
すべての複雑な状況を複雑なまま捉えようとするのは、時間の足りない現代人には無理な相談だろう。
そこで「わかりやすい」説明が求められる。わかりやすい政治、わかりやすい経済、わかりやすいビジネス理論・・・・・

「わかりやすい」が失わせるもの

わかりやすいことそのものを否定はしない。自分も、セミナーなどの際はいかにわかりやすく伝えるかを腐心している。
ただし、わかりやすい、ということの弱点を理解したうえで、だ。
物事をわかりやすくするには、例え話や単純化、比較的不要な部分の削除といった作業を行う。

例え話を使って、聞き手が普段慣れ親しんでいる物事に喩えて説明すれば、理解のハードルは下がる。

単純化してしまえば、複雑な条件を気にしなくてよくなり、さっと頭に入る。

比較的不要な部分を削除し、「この部分が重要だ」と聞き手に伝えれば、効率的に情報を伝達できる。

しかし、これらの作業で抜け落ちてしまう情報が存在する。

100%同一な物事はない。例え話は、あくまで「近い」というだけで「同じ」ではない。
例え話を使うことで、その「ズレ」の部分が覆い隠されてしまう。

単純化することで、本来考慮すべき複雑な条件が見えなくなる。「マーケティングは**だけすれば大丈夫」のような言説がそれだ。業界や会社の規模、経営者の性格などを考慮せずに物事を単純化しすぎるあまり、効果的な施策ではなくなってしまう。(提供側としては、ひとつのソリューションを大量の企業に提供できるので効率的ではあるのだが)

不要な部分は、誰にとって不要なのだろうか?語り手は不要と思って削除したその部分にこそ、聞き手が必要だった情報があるかもしれないのに。

わかりやすさの罠に陥らないために

わかりやすくすることの弱点を自覚したうえで、わかりやすくする。
本来はそれほど単純ではない、複雑なことを単純化しているのだということを伝えてから、わかりやすい話を展開する。どの部分が本来複雑なのかを伝え、必要であればその複雑さに取り組めるようガイドラインを示す。

聞き手のレベルを見極め、彼がもっとも理解しやすい程度の「わかりやすさ」で話す。
聞き手のレベルが上がってくれば、それに併せて複雑さをアップさせていく。

素晴らしいセミナーや碩学の名著でも、このような相手に合わせたオーダーメイドの対応はできない。
経営コンサルタントと直接対話することの意義がそこにある。

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