心を操られてるけど、それでいいのかい?

そう言われれば、不思議なもんだ。

もし見知らぬ者に自分の体を勝手に操られたなら、あなたはひどく怒るだろう。
ところが、あなたの心については、相手が誰であろうと好き勝手に操らせている。
だから、悪口を言われて傷ついたり悩んだりするのだ。
情けないことだとは思わないかね?

エピクテトス. 2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法 (Japanese Edition) (p.82). Kindle 版.

悪口を言われても、自分に自信があれば動じない。
自信がなければ、悪口に過剰に反応する、声が大きくなる、ケチをつけ出す。

私はそうなりたくないなと思って生きてきたが、全然できていない。
誰かの心ない一言にひどく傷つき、いつまでも引きずってしまうし、
自分も深く考えずに誰かが大事にしているものを馬鹿にしてしまう。

エピクテトスはストア派の哲学者だが、その名前は「後から手に入れたもの」という意味だそうだ。(彼は元々奴隷だった)
ストア派が理想とする平静なる心(アタラクシア)も、後から手に入れることができるだろうか。まだ間に合えばいいのだが。

アタラクシア – Wikipedia

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