話が違うのなら

ゲームのルールが最初に聞いて納得したそれから勝手に変更されていくのなら、
一旦それを辞めてみるべきだろう。

2点取ればいいと言っていたのに、3点、4点、いや5点、いやいや数ヶ月おきにずっと必要だと言われたら、
「最初の話は何だったんだ、運営側を信用できない。このゲームはプレイするに値しない」と判断しないといけない。
そうしなければ、ただひたすらゲームをやらされ続けてしまう。

100%安全と言われていたゲームに使用する道具が、そうでなく稀ではあるが非常に危険なものだったことがわかれば、
やはりゲーム自体を一旦停止して原因を調査しないといけない。

ゴールが動いたのであれば、そのゲームを一旦停止し、
新しいルールを周知したうえで皆に再度参加するかどうかを判断してもらうべきだろう。
いや、「元々ゴールが動くルールだった」と、運営側が主張するのなら、最初の説明が著しく不適切だったということ。

しかもそのゲームには終わりがないときている。
他のゲームはもう終わっているのに、「よそはよそ、うちはうち」とゲームを続ける。プレイヤーは疲弊していく、精神や肉体を病む人もいる。
そろそろ終わらせよう、と言われることもあるが、時期尚早だ、まだゲームに勝ったかどうかを判断できない、まだその時ではないと、ゲームの時間は伸び続ける。
得点の判定基準も、ゲームの終了の判断基準も、曖昧にしか示されない。運営側の意向で、どうとでも取れるような文言が並ぶ。

カフカの小説を超える不条理なゲームに参加させられている。
ルールを正常化したい、ゲームを終わらせたいと思っている人はそんなに多くないようだ。
ならば現状を受け入れて、自分の利益を最大化するのが正しい戦略なのだろう。だからそうしている。
でも、戦争やファシズム、共産主義の本を読むのが好きな自分には、
現状が「いつか見た光景」として見えてしまう。それが辛いところだ。

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