間違いに間違いを重ねる

スタートが間違っているのであれば、正しいゴールにたどり着く可能性は低い。
ゼロとは言い切れないけれど。

途中で間違いを認めて、もう一度スタートからやり直すことができればいいのだが、
それまでに他者にかけた迷惑や損失、自分を信じてついてきてくれた皆の事を考えると、
簡単に軌道修正はできない。
やり直し方を間違えれば、責任問題になるかもしれない。

そこで、あくまで「スタートは正しかった」とし、途中のプロセスが少し間違っていただけだとする。ほんのわずかの軌道修正で、物事はすべて上手くいくのだと。

または、すでに効果がないとわかっている行為に対して、「量」が足りなかった、もっと増やせば万事上手くいく、と大声で叫ぶ。

皆の努力は無駄ではなかった、あと少しだ、と。
皆もそれを信じる、いや、信じたい。
これまでの努力が無駄だったと認めることは、とても辛いことだからだ。

そのままダラダラと引き延ばし「自然な解決」を待つ方法もある。
環境が変わって、ゴールの方から勝手に近づいてくるのを、ただひたすら待つ。
ゴールまでいけばしめたものだ、「われわれの選択は間違えてなかった」と言えるのだから。因果関係?知ったことか、現に解決してるじゃないか。

BSEや原発などのことを思い出すと、最後の選択肢、つまり「自然な解決」、皆が飽きて話題が変わるのを待つという手段が執られることが多いように思う。
おそらく今回も、そうするつもりなのだろう。経済や社会に与えた副作用があまりに大きすぎて、だれも責任を取ることができないレベルになってしまっているからだ。

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