こんな笑い話がある。
ある日、ハイボールを飲んだ。酔っ払った。
次の日、カシスソーダを飲んだ、酔っ払った。
そのまた次の日、梅酒のソーダ割を飲んだ、やはり酔っ払った。
なぜ酔っ払うのだろう?この3つの共通点は・・・・ソーダ水だ!ソーダ水が人を酔わせるのだ!!!
さて、アルコールという存在を知っている現代人が同じような判断をすることはないだろう。
これはあくまで寓話だけど、同じような判断を日常でしていない、と、言い切れるだろうか?
何かが起きて、たまたま見えやすい共通の項目(ソーダ水)があったからと言って、それが原因かどうかはわからない。
見えていない共通の原因(アルコール)を見落としてはいないか。
ソーダ水だけを飲んでも酔わないことや、ワインで酔うことに気付けば、先の結論が間違いだとわかる。
帰納法だけに頼る弱点はここにある。選んだサンプルの数と種類が不適切なまま、それらしい結論を出してしまう。
同じようなことを、実社会の意思決定シーンでうまくやれないのが、人間の愚かしいところなのだろう。