許されている差別

現代社会では差別は禁止されている。
ただ、許されている「差別」がいくつかある。

頭がいい人はいい大学を出て大企業に入り、出世する。
運動能力が高い人は、スポーツ選手として名誉と莫大な報酬を手にする。
容姿で差別するのはいけない、と言いながらも、テレビや映画に出るのは美しい男女ばかりだ。
彼ら彼女らは当然のように、名誉と莫大な報酬を手にする。

若い男女がそれぞれに結婚相手を選り好みするのだって、一種の差別に違いない。

いや違う、出自や人種など、本人の責任ではないことで差別するのが良くないのだ、と反論されそうだ。
「頭脳」も「運動能力」も、もちろん「容姿」も、もっと言えば「性格」だって、
両親の遺伝の影響も大きい(100%ではないにしても)のは事実だと思うが、それは本人の責任なのだろうか。

どんなに素材が良くても、努力するかしないかで結果は変わると言われるかもしれないが、
だからって私が死ぬほど努力すればプロ野球選手になれたかと問われれば、バカを言わないでくれとしか思えない。

素材 + 努力 は事実でも、能力だけで素材を超えることは難しい。
それができたとしたら、その人にはもともと素材があって、努力によってそれが発現したとも言える。

本当に差別をなくしてしまえば、社会は進歩しなくなるだろう。
運動能力の高い人はスポーツで観客を魅了したり人類の限界にチャレンジしてほしいし、
頭の良い人はその知能を生かして社会をよりよくしてほしい。
容姿が良い人も然りだ。

平等な社会が実現すれば、「皆が平等に貧しくなる社会」になる(ただし一部の特権階級は除く)ということが、
前世紀の一部の国における壮大な社会実験で明らかになった。

運動ができる奴に嫉妬したくなる気持ちもなくはないが、
全員で貧しくなり誰も幸せにならないよりは、
彼らが活躍するのを羨望の眼差しでみる、そんな社会の方がマシだ。

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