昔生活していた場所を訪ねるのが好きだ。
大学時代のアパート、最初の就職先の社員寮、東京で生活していたアパート、福岡に戻ってから10年以上暮らした木造アパート。
周囲を散歩しながら、当時の気持ちを思い出す。
どこも様変わりしている。新しかったアパートは古びているし、周囲の景観も少しずつ変わっている。
毎日のように通っていたレンタルビデオ屋はもうなく、コンビニは移転している、社員寮にはいつの間にかオートロックが装備され、駅前にはファーストフード店ができた。
大学時代によくぼうっとしていた公園は25年前と変わらない。社会人初期に使っていた川沿いのジョギングコースも20年前と変わらない。
残っているものと、新しくなったもの。
いつも驚くのは、「残っているものすら、記憶とは大きく異なる」ことだ。
人間の記憶は当てにならない。おそらくその後の類似の記憶と混ざってしまったのだろう。
もちろん自分も、当時とは大きく変わっている。
今の人生は想像だにしていなかったし、当時の自分と会えば思想の違いから大喧嘩に発展しそうだ。
もっともそれは自分がそう思っているだけで、さらに言えば記憶をいいように「改変」しているだけで、
実際には何も変わっていないのかもしれない。
柔軟性があると言えば聞こえがいいが、単に芯がないだけとも言える。
一貫性があると言えば聞こえがいいが、単に頑迷なだけとも言える。
いろいろあったけど、総じてうまくは行っているのだと、
そう思えるのだから、きっと幸せなのだろう。