哲学がなければ

この話はビジネスにおける「システム構築」にも当てはまると思う。
「情報」システムだけの話ではない、もっと広い、仕組みとしてのシステム。

システムを作り、増やすためには技術が必要だ。技術なしで作るシステムはそれはひどいもので、競争力もないだろう。
社員の努力(力技、人海戦術)により一時的に競争力を持つことはあっても、持続はしない。

成功すれば、システムは「増えて」いく。いつしかその一部は時代おくれになる。
なら減らせばいいのだが、それが難しい。減らしたら売り上げも減るのでは?そこで働いている人はどうなる?手慣れた仕事をもうするなと?
もうしばらく様子を見よう、このままでもいいじゃないか、別に困ってないんだし。言い訳はいくらでも出てくる。

しかしシステムを維持するのにも費用がかかる訳で、様子を見る、というのは、企業にとって何よりも大事なキャッシュを垂れ流すことに等しい。
また、マイナスの影響があるかもしれない。これは見えにくいのでタチが悪い。

機能を減らすことによる発生した結果の責任を取れるのは経営者だけだ。
だから、経営者には哲学がいるのだろう。
自分はストア哲学や仏教哲学に親近感を持っているので、
そのあたりの思想を拠り所に意思決定をしているのだと思う。

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