「なぜ」ではなく「どうしたら」

「なぜこんなことになったのか」
「どうしてこんな事態が起きてしまったのか」

なんて考えても、あまり意味のある結論は見いだせない。
機械ならいい。どこかの部品が壊れて、こんな悪い結果になったと、因果関係がある程度明確に掴めるからだ。

仕事はそうはいかない。たくさんの人間が関わればなおさら。
無理に「なぜ」を突き詰めると、「誰の責任か」といった追求か、「誰だれは怠けている」みたいな精神論の話になってしまう。

「なぜ」はほどほどでよい。過去はどうしようもない。
適切な判断をするための情報としての「なぜ」は考えてもいいだろう。でもそこまでだ。
「誰が」を突き詰めて個人攻撃をしたって何も解決しない。

問うべきは「どうしたら良くなる?」だ。事態を解決するために「今から未来にかけて」何をすべきか?
「なぜ」は、「どうしたら」を決定するために必要な最低限の分析さえすればそれで十分だ。

関連記事

  1. みんなって誰?エコーチェンバー現象

  2. 期待ではなく事実、願望ではなくデータ、信仰ではなく科学

  3. わからない

  4. シンプルなままにしよう

    複雑さの両岸にある単純さ

  5. 詭弁その2〜誤った二分法、権威論証

  6. 仕事がつまらないとき(有能感、自律性、関係性)

最近の記事

  1. 講演、セミナー
  2. 2026.03.16

    荷物の軽量化
  3. 2026.03.12

    紹介の連鎖
  4. 2026.03.09

    AI配偶者

読書記録(ブクログ)