「なぜこんなことになったのか」
「どうしてこんな事態が起きてしまったのか」
なんて考えても、あまり意味のある結論は見いだせない。
機械ならいい。どこかの部品が壊れて、こんな悪い結果になったと、因果関係がある程度明確に掴めるからだ。
仕事はそうはいかない。たくさんの人間が関わればなおさら。
無理に「なぜ」を突き詰めると、「誰の責任か」といった追求か、「誰だれは怠けている」みたいな精神論の話になってしまう。
「なぜ」はほどほどでよい。過去はどうしようもない。
適切な判断をするための情報としての「なぜ」は考えてもいいだろう。でもそこまでだ。
「誰が」を突き詰めて個人攻撃をしたって何も解決しない。
問うべきは「どうしたら良くなる?」だ。事態を解決するために「今から未来にかけて」何をすべきか?
「なぜ」は、「どうしたら」を決定するために必要な最低限の分析さえすればそれで十分だ。