ヒゲ脱毛をしている。1ヶ月に1回病院に通い、6ヶ月で完全に脱毛できるそうだ。
体毛はどちらかと言えば薄いほうで、青光りしているわけでもない。
しかし、別にヒゲを剃る行為が好きでもないし、そこになんらかの哲学的意味も見出していないので、もういっそ無くしてしまおうと思った。
#人は習慣的に行う行為に何かの意味を見出しがちだ。食器洗いとか、掃除とか。
#これらの作業はやらないで済むならそれに越したことはないと思う。
#精神修養が目的であれば、別の、もっとよい方法があるだろう。
ヒゲを生やそうとしても薄いのでまばらにしか生えず、かっこいいひげ面にはならない。
今後、男性がヒゲを生やすことを推奨するイスラム教徒になったり、ユダヤ教のラビになる可能性も限りなく低い。
どうしてもヒゲをたくわえたくなったら、付け髭でいいじゃないか。
人生で好きに使える時間が増える
ひげそりの時間はせいぜい1−2分程度だろう。
もっとも毎日なのでその時間の蓄積はばかにできない。
あと30年は生きるとして、2分×365日×30年=365時間=15.2日。
15日分の時間が手に入ると思えば、お金を使う価値はある。
毎日ひげそりに使っていた2分を読書にあてれば、年間で10数冊は読破できそうだ。
「気にしなくて良い」ことのメリット
時間短縮の効果もばかにはできないが、もっと効果があるのは、
ヒゲを剃ったかどうかを気にしなくて良くなることだ。
ヒゲを剃るということは習慣化できてはいるものの、
それでも出張時などパターンが普段と異なる際には意識していないと作業が抜けてしまう。
ヒゲをそり忘れて仕事に行きなんとなく恥ずかしい思いをしたまま一日を過ごすことや、
出張中になれないT字剃刀で顔に傷をつくることもない。
「ヒゲを剃る」ということ自体を、今後の人生で一切思い出さなくてもよい。
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まだ数回通っただけだが、これだけでもひげそりの回数が数日に1回で済むようになった。
なんでもっと早くやらなかったのだろう?
これまでの人生の時間と脳みそを無駄に使ってしまったようで、悲しい。