長く読んでいたブログが、最近コンテンツの作成をAIに切り替えた。前よりも整理されて、まとまっているように見える。でも、なんだか読む気になれない。結局、そのブログを読むのを辞めてしまった。
他にも同じようなことがあって、なぜそうなるのかを考えた。著者の熱を感じないからだろうか?生成AIは網羅的にまとめてはくれるが、かつてはあった著者の視点での取捨選択や多少歪んだ捉え方、つまり「著者の個性」を感じない。その個性が好きで、自分に合っているから、私はこの著者のブログ記事を読んでいたのだ。
どうせ生成AIに作らせるなら、自分で直接プロンプトを入れた方が、自分の個性を把握した、より的確な記事を生成してもらえるだろう。この著者が生成AIに作らせた要約だけの記事は、いくつかの誤字脱字や意味不明な文章が残ったままのインフォグラフィックは、私にとって(自分で生成AIに作らせた記事以上の)価値はあるのだろうか?
何かしかの創作を生業とするものは、生成AIを「アシスタント」として使うべきであって、「自分の分身」としてはいけないと思う。それは自分の分身などではなく、「人間全体の分身」だということを忘れてはならない。














